「祈り」という言葉が頭に降って、起床しました。
ねぼすけトミーです。
コロナ君と対話を始めてから、また時が経過しました。
世界は、どえらいことになっています。
トミーのお店は、暫く臨時休業体制を取っています。
ゆんべ、眠る前に、自分の要求を確認しながら眠りました。
何が心地良くて何が心地悪いのか。
誰と居たいのか誰が好きなのか。
何をしたいのか何をしたくないのか。
などなど、です。
怒らないから素直に言ってみな、方式でトミーを誘導します。
その結果、あらまぁ。
通常だったら、悪い子っ、て、言われちゃうわね。
所謂、不謹慎、てやつかしら。
私、そういう人間なのね。
だがしかし、これが真実。
「祈り」は「望み」
と、脳内で言われました。
その文字達が降りてきて、ハッ、なにっ⁈っつって目覚めました。
今朝見た夢は、遠い遠いご先祖様の夢で、どえらい古い手形のようなものを預かっていて、いざとなったら其れを然るべき機関に持っていくのだよ、とご先祖様から言付かっていた模様。
B4サイズくらいの横長の古ーい厚紙。
左側には、知らぬ爺さんの写真がプリントされてました。
その、然るべき機関というのは、大きな鳥居のある神社の近くで、私は其処をグルグル練り歩く、という夢でした。
ちなみに起きた時は夢の内容忘れていましたが、さっき思い出しました。
神社の近くは工事をしていたような気がします。
あの神社は、何処だろうか。。。
あっ、あそこかも。
ハチャめきました。
書きながら降りてくるという、ね。
すみませんね、なんかね。
自動書記なもんで。
以前も夢で見た神社仏閣に行きましたが、楽しいです。
お告げの場所に赴くの。
お告ゲームみたいで、ミッションぽいです。
あ、夢の話は半ば日記みたいに記しちまいましたが、本題はコロナ君との対話です。
「祈り」
なんです。
コロナ君の終息、いつなのかしら?
の問いには、
「summer」
ということです。
私の脳内に降りてきたのは「6月」だったのですが、何故私も予言者ではないので分かり得ぬのですが。
だがしかし、誰しも「予言者」ではありませんが「預言者」であるということです。
コロナ君との対話は、己との対話なのです。
感染者の疾患として、というか、もはや死因として、「肺炎」とありますが、「肺」は東洋医学的見解ですと、「悲しみ」が溜まる場所。
物事を深刻に考えすぎて楽しめない、素直でない、などなど。
ふむ。
まぁ、私にも、そんな傾向ありますな。
みなが持ち得ているのではないかな、こんな感情、と思います。
コロナ君のトラップとしては、必要以上に恐れられてしまっている、ということ。
それは、なんだか分からないから恐ろしい、のだと思います。
未知のもの、分からないもの、認識しえないもの、は人にとって恐ろしいのです。
「死」というのもそうですね、恐ろしい。
人間の世には、恐ろしいものが蔓延っているのです。
特効薬もない。
だがしかし、人には免疫力というものがあります。+生命力。
人が生きようとする力も、これまた恐ろしいですよ。
恐ろしいは語弊ですかな。
すっばらしいですよ。
その力たるや。
そこで、さぁ。
なんの為に生きるのかしら。
てな問いです。
ここ最近のトミーの意識としては、なんの為、というよりは、毎日毎時間毎分毎秒、を、極力心地良くする、にフォーカスしています。
このシンプルな事が出来ていなかった、長い間。
ごはんの選択ひとつ取っても。
(まぁ、トミーは、いつだって食いたいものを食らうがね)
仕方のない事は、仕方がないのだけれど。
ならぬものは、ならぬ、のだけれど。
だがしかし、与えられる、ということ。
このコロナタイム、トミーは、与えられてる感と導かれ感、を感じています。
自分(エゴ)でどうにかしよう、どうこうしよう、ともがき苦しんだり思い倦ねたりしていたけれど、自分(真我)に、もっと頼ればよかったー、と。
お願い事は絶対叶えてくれますからね。
しかも、仕事、早いです。
世界中の人々(己含む)の「祈り」が、偽りでない事を。
(トミーは遊んでいたい。ずっと遊んでいたい。遊ぶのが飽きたら、働きます…。あ、むしろ遊んでたら金が入る、みたいのが望ましい。グラセフ的な。ご先祖様のアレ、遊んで暮らす様のアレだといいな。)と、本性を剥き出すと、楽しいよ!
再見!