テクノロジヰとノスタルジヰ

イメージ 1



黒髪喪服のトミーです。


先日、叔母の一周忌でした。
その前の、お葬儀も四十九日法要も、金髪を黒スプレーで頑張ってペイントイットブラックしていたのですが、かなりの労力を要するのと、スプレー缶がすぐに終わってしまう難題があったので降参してしまってズラなのです。

この日は母と赴いたのですが、母は昔から厳しい人なので、ズラを指摘されて面倒くせえかな、とも思いましたし、でも金髪よりはマシでしょう?との反発もありましたし、金髪反発。
だがしかし、反応はと云いますと。
何やらご機嫌なのです。
どうやら、母は私の黒髪ズラを気に入っているのです。


ママの若い頃みたい。


との理由です。
なんだか、ウットリさえしています。
自分の若かりし日々を私に投影しているのでしょうか。


いつも法事となると、母とは一触即発状態で喧嘩ばかりしておるので、この日もきっも喧嘩する、親戚にお見苦しい現場を見せる、厭だなぁ、と思っていたのですが、とても仲良しに、普通の親子のように過ごせたのです。
叔母さんもヒヤヒヤしなくてよかったね。



私にもし娘っ子が居て、自分に似ている部分などあったらゾッとしますが、どうやら母は自分と似ている部分を重ねると嬉しくなる人種のようです。
ご自分がお好きでいらっしゃるのでしょうね。
そのように母が、ご機嫌であったので法事なのですが和やかに楽しく過ごしたのです。


過去とはいえ、かつての自分を見ているようだったら、ドッペルゲンガーだね、と思いましたが、ドッペルゲンガーに遭遇すると死にますよね。
自分に出くわす=死
って最高のオーガズムなのであろうと思いました。

なにはともあれ、その日には、だいぶ離れていた母への愛情が蘇って来ました。
こんなふうに笑っていてほしいな、とも思いましたし、望むのであれば、私は黒髪になりますぜ、とも思いました。

幼少期を思い出したのです。
私は母に笑っていてほしくて、幸せであってほしくて。
母が望むなら、母好みの私に染まります、と、何でも言うことを聞いてきました。
時が経つにつれて、母も望むものが何であるか分からなくなってきたんでしょうね。
私の、母を幸せにする作戦、は、失敗に終わってしまいます。
母からは、どんどん笑顔が消えてヒステリックになっていきました。
近寄るの恐いので、しれーっと離れていきましたが。
でも、この日思い出したのです。
母の理想郷を。
ノスタルジーフィードバックが私の脳内に溢れます。


数日前にクラフトワーク聴いてて思ったんですが。
楽曲は computer love という曲で、オリジナルでなくて、the mix というリミックスアルバムの方なんですが。
この曲、愛しかない。
と思ったんですよね、ふと。
ええ、コンピューターミュージックなのですが。
生楽器を使ってるわけでも、生声入ってるわけでもないのですが。
どういうわけか、愛、を感じたんですよね。
βエンドルフィンというやつが脳内に出てます、という感覚があったんです。
快楽ホルモンとか、愛情ホルモンとか、そういったヤツです。
あっ、出てる、出てるんですけど、今っ、てゆう感覚です。

その曲を聴いてる時の脳内感覚と、その法事の時の母を想う感覚が酷似しているという事に気付いたんです、これまたふと。


これはこれは。
感情というよりも、脳みその擽り方でわ?と思いました。
DNAにプログラムされているものかもしれません。
久々のオキシトシン分泌です。

オキシトシン分泌というやつは、母親が赤ちゃんを抱っこする、とか、恋人と手を繋ぐ、とか、主にスキンシップなんかで分泌される愛情ホルモンです。
家族団欒する、とか、飲み屋で会話する、とか、そういった行為でも分泌されるらしいですが。
そうやって、人は、無意識グルーミング行為によってストレス緩和しているらしいのですが。

何を云いたいのか、さっぱり分からなくなってきましたが。

久々に愛を感じたので、記したかっただけなのです。


愛が苦しみなら、いくらでも苦しもう
って、ベルばらのエンディングの歌詞にありましたが、愛は苦しみではない事が分かりました。
愛は外側にもないし、求めるものでもなく、脳内に分泌されるホルモンであると認識しました。
なんだか懐かしくて安心する気持ち。
日曜日に笑点を観ていても同じ感覚。


法事中にお寺で住職の読経を聞いていたら、腹からなんか出ていった気がするんですよね、重たいもの。
いよいよクリアになっていく気がするんですよね、全てが。
色々悩んでいた最中であったので。
もちろん、バンドの事も。
多分、ちょっと、今までと変わってきます。
そんな気がします。


そういえば、今回のブログ、話題がドイツだく。
ドッペルゲンガークラフトワーク
はてさて。