欲しいのは絶望

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県民の日。
うらうら麗らかな幸せな日。
暑くもないし寒くもない。
雲ひとつない青い空。

おうちに居るのは勿体無いと、マイシュガーダンディとデイトに出かけました。
めっちゃローカルなドリームランド、渋川スカイランドパークに赴いてみました。

幸福
と書いてある駅を模した駅名標
前後には
愛の国

こどもの国。
ディズニーランドより夢っぽい。
もう、これ、溶ける感じだ。
そんで帰る頃には、このドリームランド自体存在してなかったことに気付くんだ。
そして、僕らも存在してなかったと気付くんだ。


まず最初にサイクルモノレール乗ったんだけど、リアルな高さが逆に恐怖だよね。
死ねない高さ。
そこにリアリティがあるよね。
地味に恐いよね。
でも、お天気が麗らかで、気持ちが良かったなぁ。
時々真下を見ながら漕いでみたんだけど、身体はなんだかミゾミゾしていたけど、気持ちは恐怖を感じていなかったんだ。
嗚呼、こうやって、恐怖を恐怖とせずに、感覚を麻痺させ続けて生きて来たなぁ、と感じたよ。
最近のテーマなんだ。
感じる
ということは。


マイシュガが、お化け屋敷でアドレナリンを出そうよ、たまにはアドレナリンを出そうよ、と言ってきたので、お化け屋敷に入ったよ。
トミー、お化け屋敷くそ怖いから入りたくないんだけど、なんだか刺激が欲しかったので了承したよ。

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霊感の強い方はご遠慮ください、てさ。
トミー、霊感だらけで生きてきたけど、最近麻痺させてるから楽しもうと思って、てゆか、厭な感じがしなかったので大丈夫と思ったよ。
お化けにとても好かれる人と付き合ってた時は己の身もヤヴァいから絶対入らなかったけど、お化けと無縁な人と入ると愉快でしかないよ。

いやぁ、しかし、
シュガダン、ビビり過ぎだろ。
てか、ここ数年、自分、めっちゃビビりで、お化け屋敷先頭なんて以ての外でしたが、今回はズカズカ行きましたねぇ。
そして大爆笑でしたね。
笑いと恐怖は、よく似てる。

久々に、なんだか、
責務から離れた感というか、童心にかえった感というか、なんも考えてなかったら楽しかったです。
何にも考えないし、何もかもどうでもいいと、何も恐怖を感じないです。

最近、大切なものを、強く大切と思い過ぎていました。
それが仇となるのに。
そして今、大切なもの、好きなものが、段々失われつつあります。
意識をしなくなりました。
失って初めて気付くとか言いますが、失う前も失った後も、私は気づいていますよ。
大切なものは大切なのです。

好きなものも大切なものも、目標も目的も持たずにいる方が、楽、なのですが。
幸せな時間て、
瞬間
なのだと気付きました。
なんだか、この終末、否、週末、たくさん幸せを感じました。
なんでもないようなことの方が幸せで、あ、虎舞竜、と思いました。


で、今、色々決断しなければいけない事があります。
それって、幸せかな?楽しいかな?って単純に選別し始めました。
断捨離です。

今まで大切にしてきたものが大切ではなくなる瞬間。
それって、とてもフイにやってきます。
自分でもビックリするくらい。
少しの葛藤はあります。
でも、それは、時というものが巡って、自分に必要のなくなる時期という事で、悲しいことではないのかな、と思います。
潜在的に蓄積されているのかな、とも思います。


自分の存在というものを浮き彫りにしたくて、何処かに置きたくていましたが、最近では番号で呼ばれてもいいです。
むしろ番号でもいいです。

本当の楽を選び始めました。
軽いです。
一見ネガティヴな選択だけど、全体を見渡したら、その選択は正しいかもしれません。


秋の蚊は、なかなか死んでくれない。