病気日和のエモーショナルヒーリング〜見知らぬ天井〜

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眼帯は嘘ですが、それ以外は本当です。

緊急入院しました、トミーです。

まさか、こんなことになるとは。 ナメていました。 2月11日 気持ちは腐っていました。 だがしかし、旦那様に腐乱の原因を話すことによって、心が解けていき、涙を流すことにより解放され、泣き疲れ眠る赤ん坊のように、穏やかになっていきました。 そう、赤ん坊のように。 実のところトミーは年明け早々ご懐妊でして。 予期せぬご懐妊でして。 インドでウハウハはしゃいでた頃、すでに妊娠していたのです。 今年45歳に成りましたし、腹に筋腫も抱えているので、妊娠なんてせんよ、せん、なんてたかをくくっていたのです。 インド旅行する頃には終わっているはずの月のモノが来ません。 時々気紛れなものだから、そんなところかしら、と思っていたけど、一応外来尋ねたら、年末だわさ、診察終わっちゃってたのよ。 インドで一応妊娠検査薬を求めるも、ないよ、ないね、置いてないね、なんつって結局買えずじまい。 インドの妊娠検査薬は100円くらいで買えるらしいので、試してみようかと街の薬局をウロウロしたのです。 まぁ、日本に帰ってからでいっか、今はインドを楽しもうっ、と思い、そんで酒飲んで、わんやわんや踊ったり飛んだり跳ねたりしてたんですが、 アレ… 気持ち悪い…。 酒少し飲んで飛び跳ねたくらいで、私ったら。 おかしいな、とこの時思ったワケです。 日本に帰国してからも怖くてチェック出来ず。 どっちにしても怖いから。 子供がいても恐怖。 子供がいなかったら、なんか病気かしら、の恐怖。 つか、年齢的に閉経ぢゃね?とも思いました。 妊娠検査薬は買ってみたものの、トライ出来ずに悶々としていました。 1月8日 この日は一か八かの日だそうです。 私は、やはり検査薬を試せず昼間の不貞寝を決め込みました。 うつらうつらしていると、 「いるよ!」 と元気なお子の声が聞こえました。 頭の中で鳴っているのに、すぐに近くにいるような。 確かに声を聞いて、びっくりして起きたのです。 一か八かの日、か。 私は勇気を出して検査薬を取り出し、トイレに駆け込みレッツトライ。 尿が染みていくその先に、 あ… 陽性反応を意味する縦線が…。 まぢか…。 びっくりしました。 ネガティブな感覚ではなく、ポジティブな感覚で。 わたしゃ、妊娠出来るのかいや、と。 自らの女の可能性を垣間見たのです。 なんというロマンシング性(サガ)! 旦那様とは、別に子供は要らない、という約束の元に共に居ました。 その約束は、お年寄りの私を安心させました。 絶対欲しいの!とか言われたら、余裕で産んであげられる歳ではないので。 私が38歳の頃、やはり13歳下の25歳と付き合っていましたが、彼は屈託のない笑顔で、「大丈夫だよ、若いから!最初は女の子がいいな。」と言って来た時プレッシャーで死にました。 最初ってなんだよ…。 1人だってロクに産めるか分からねいよ…。 見た目は若いと言われる事が確かに多かったけど、中身は歳相応の婆さんなんじゃよ…。 なんと無邪気に人を傷つけるのかよ…。 その彼とは無論お別れしました。 どうか、若いオナゴと普通の家庭を持っとくれ。 私自身は普通に家庭を持つことを、もうとっくに諦めていたので心穏やかに暮らしたい。 もう、恋愛とかもしたくない、面倒くさい、とも思っていました。 そんな諦念プシガンガの私が今妊婦…。 44歳(発覚当時)の今、妊婦⁈ とてもびっくりしたのです。 妊婦って幸せな気持ちになるのですね。 こんな感覚、オトコノコには到底味わえないのでしょう? ふふん。 なんだか優越感です。 ふふん。 その昔、友人と、charaちゃんの「やさしい気持ち」って楽曲の、やさしい気持ちってどんな気持ちなのかしらね?分からん、分からんなぁ、なんて話した事あるけど、それです、妊婦は。 やさしい気持ち、になるんです。 嗚呼、コレがやさしい気持ちか、と。 旦那様に、その旨を話すと、きちんと病院に行って確認しよう、となり、一緒に病院に行きました。 「妊娠です。おめでとう。よかったね。」 先生は、そんなふうに声をかけてくれました。 え、これ、って、よかったんだ、おめでとう、なんだ。 と、他人様から初めて声をかけてもらって、本当におめでたい事なんだと痛感しました。 なんだか本当に嬉しくて、アレ、なんだこの感覚。 私の人生に、こんな感覚ってあるの? ウハハ。 まるで春うらら気分。 頭の中が、お花畑だよ。 お腹の中に味方が出来て、最強な自分になった感じ。  もう何も怖くないんだから。 本当は母である私が、この子を守らなければならないのだろうけど、私が守られているような、そんな感覚。 とっても強い子が宿ったような気がしました。 今の旦那様と出会いたてくらいの時に、旦那様は子供が生まれている夢をみた、と言ってきました。 とんだおチャッピーな女の子で、ハルカという名の子だった、と言っていました。 その頃の私は、とても不安定というか、旦那様との関係に不安しかなかったので(やはり主に年齢差です。この呪縛は、その昔も今現在も継続中。)その夢の中の子供は、私の心の支えとなりました。 その子は私の分身です、と思いました。 その後もずっと。 悲しい気持ちになると、その子の事を想っていました。 その子が笑っている、と思うと不思議と頑張れるのです。 それから月日も経て、旦那様と内縁関係に。 共に住み始めて、お店も始めて、なんやりかんやり更に月日は流れ、色々が順風満帆に進んでいくはず(理想)の予定でしたが、私は全てにおいて自信をなくしてしまいました。 失望、と言っても過言ではありませんでした。 そこまでになった経緯は色々ありますが、主に私の持病、精神疾患です。 以前婚約して一緒に住んでいた人とも、この精神疾患が主な原因で別れを選びました。 またソレに負けてしまって、やっぱり完全に1人で生きていこう、と思い出し始めました。 そんな時、妊娠が発覚しました。 ちょっと待ちなさいよ、その考え。 あんた、また、そんなんでダメにするの? と言われているようでした。 あの子が、やって来たのです。 たくましくて強くて、いつもいつも笑っているあの子が。 あの子だ、絶対あの子。 私は確信しました。 クズのパパとグズのママに、喝を入れるが如く現れた如来児。 あの子が来てから、私達の関係は変化したように思います。 パパは、だいぶ優しくてたくましくて男らしくなっていきました。 ママは、その優しさに甘えて、このまま一生妊婦でいたい…とうっとり昼寝ばかりしていました。笑 3度目の検診時、胎嚢は育っているものの子供の姿が見えませんでした。 次回の検診で、また姿が見えなかったら流産の可能性がある、とお医者様から言われました。 ショックでした。 あの子に逢えない…。 クリニックをぼんやり後にして、駐車場の車に乗り込む。 しばらく発車出来なくて、涙が止まらなくて、それでも車を走らせて、おうちに戻りました。 おうちのガレージについても、しばらく車から降りれなくて、ぐしゅぐしゅに泣きました。 視界には滲んだ空がぼんやりしていました。 お空に帰っちゃったのかなぁ…。 パパがクズで、ママがグズだから…。 厭になっちゃったのかなぁ…。 それでも、お腹にまだあの子を感じながら、お散歩していると、 「ママ!笑っていてね!」 と声がしました。 ママは、ぐしゅぐしゅに泣いているのに、あの子はいつものように笑っていました。 親父が嫌なら別れてもいい。 何が嫌でも逃げたっていい。 卑怯でもなんでもいい。 自分の事だけ考えるわがままな人でもいい。 なんでもいいから、ママが笑っていられる場所にいてね。 ズルくてもいい。 笑っていられる環境に身を置いてね、と。 好きに生きてね、と。 メッセージが、たくさん降りて来ました。 公園の周りを散歩しながら、また涙が止まらなくなりました。 あの子は私の側にいなくても、私の中にいるんだ。 と思いました。 ぐしゅぐしゅしてるママは、ほんとのママじゃない。 笑ってるのが、ほんとのママだよ。 そう言って、あの子は、ずっと笑ってる。 今度の検診で、あの子がいなくても、逢えなくても、私は笑って生きていく。 覚悟を決めました。 「今回は残念だったけどね…」 お医者様は言いました。 覚悟はしていたものの、やっぱりどんよりしてしまいました。 旦那様は、その時一緒に病院に来てくれていて、隣にいてくれました。 頭を、ぽんぽんしてくれました。 私は、ぼんやり泣きながら、一点をうっすら見ながらトポトポ駐車場まで歩きました。 帰りに旦那様と一緒にパスタを食べました。 美味しかった。 でも、悲しかった。 あの子の栄養のための、食事ではなくなってしまった。 今度のゴハンも、私ひとりのためのゴハン。 少し寂しい気持ちになりました。 鉄分やカルシウムの入ったチーズ。 葉酸タブレット。 あの子の為の滋養と強壮。 部屋の中にあるソレらを見ると、なんとも虚しい気持ちになりました。 お腹に、あの子がいる時、旦那様がゴハンを作ってくれました。 私でなくて、この腹のコが食べたがっている。 まぁ、実際、私が食べたがっているけれど。笑 親父がつくった納豆炒飯をモフモフ食べました。 一緒に食べると更に美味しかった。 ママのお誕生日に何もしてくれない親父に怨念を抱いていると(笑)遅ばせながらにケーキを買ってくる親父がいたり。 そのケーキを、もうすでにお腹には居ないと分かっているお子と2人で食べた時、涙が出るほど美味しかった。 美味しすぎて泣いた。 パパが買ってきたケーキ、美味しいね、って2人で食べた。 やはりママは、ぐしゅぐしゅしてしまった。 腹をくくって、もうサヨナラを待とう。 私は不全流産というやつで、胎嚢もまだ小さかったので、残留物が出血と共に出てくるのを自然に待ちましょう、と先生に言われました。 その翌日頃から、生理のような出血が始まりました。 腹痛や多量出血もある、と言われていたので覚悟していましたが、こんなに出るの?というくらいの出血。 でも、先生も個人差があると言っていたし。 嗚呼、でも、お腹も息出来ないくらい痛い。 何度も何度もトイレに行く。 出血量が酷すぎて、夜用の生理用ナプキンが、ものの数分で血に染まる。 普段生理痛さえない私は鎮痛剤も何を飲んでいいか分からないし、この出血量ったら、どうしよう。 旦那様が店を閉めるから夜間病院に行こう、と言いました。 近所に幸い産婦人科のある病院が夜間救急指定。 旦那様が電話してくれて、そして赴いてみたのだが。 お医者様に経緯を話すと、 「流産て言われたのいつ?1週間前なら出血なんてもうないはずだけど」 「でも、今だいぶ出血してて…」 「それ本当に流産?そもそも最初から本当に妊娠してたの?」 と、耳を疑うような事を言われました。 私は、「もう結構です。」と言って、保険証をふんだくって帰りました。 仕方なく薬局で鎮痛剤を買って、やり過ごす事に。 出血も痛みも相変わらず凄い。 でも、なんだか血の塊とクラゲ?みたいな塊が出たので(エグくてすみません)なんだか少し楽ー。 多分大丈夫だよー、なんて旦那さんと談笑してたけど、いざ、でわ、もう寝ましょう、となって小一時間後くらい…。 あ、また血、出るかも、と思い立ち上がってトイレに行くと、もう間に合わないくらいの出血と立ちくらみ。 耳の閉塞感と手の痺れを感じて、うそ、やだ、こわい。 と思って旦那さんを呼びました。 意識が遠のいていく感じ。 もう、何をしていいか分からなくなって、下半身血塗れのまま立ちすくんでしまいました。 夜中の3時。 救急車で指定の病院へ。 救急車の天井から、見知らぬ病院の天井へ。 ストレッチャーからベッドに乗せられて、手の甲に点滴を打たれる。 手の指にはバイタル。 左の手にも、なにやら管。 朦朧としているはずなのに、いちいち何をされてるか覚えていました。 お腹のエコーをとって、出血の処理をされる。 かなりの出血量だったみたいで、足先まで血塗れ。 とにかく処置室が寒くてガタガタ震える。 血液もかなりの量出てるし仕方ない。 産婦人科の処置室に移動。 通常流産の手術は、当日帰れるらしいのですが、私の場合出血が酷かったので一泊入院になりました。 手術は女医さんが担当してくれて、麻酔がやたら気持ちが良かったのを覚えています。 気がついたら旦那様と姉様が側にいました。 病室を移って、ベッドへ。 旦那様と姉様が帰った後は、うとうと眠りました。 色々疲れた。 眠りにつくと、あとはほとんど記憶がありません。 旦那様が持って来てくれた志賀直哉の文庫寸をお腹の上に抱きながら、少し頭を起こして、そのままぐっすり眠りました。 カラダの疲れとアタマの疲れを取り去る為にぐっすり。 それはもうぐっすり。 朝の採血まで。 12.8あった血液比重が8.0まで減りました。 一晩の出血量を物語っています。 恐ろしや。 目まぐるしすぎて、何がなんやら分からない。 ぼーっとするけど腹は減る。 とりあえず、生きている、私は。 うん。 生きている。 そして、これからも、多分。 うん。 生きていく。 命をかけて、大事な事を教えに来てくれたあの子。 私の中に、生きている。 私の周りにいる大事な人達が、 より大事、と感じた。 とても月並みな事を、人並みに大事と感じた。 大事な事って、本当にやっぱり大事なんだ。 当たり前じゃん。 あの子は笑う。 私も笑う。 旦那様と家路につく。 血塗れだった床と、血塗れだった私の服は、綺麗になっていた。 新たな居心地。 私のおうち。 私達のおうち。