狭くなる世界

晦日になってしまいました。

大掃除が間に合いません。

トミーです。

今年は、どんな年だったのでしょうか。

どんなもこんなもコロナ禍の中、どの皆々様も思うようにいかず日々を過ごされたのではないでしょうか。

トミー、個人的にはといいますと、不謹慎ではありますが、コロナ様様、コロナのおかげで、みたいなところがあり、今まで気づけなかった部分に気づけた、みたいな事が沢山ありました。

ここ数年、正確には去年から、トミーの心情はずっと陰のモードで来ました。

仕事もパートナーシップもプライベートも不満ばかりで、1人で自由気ままにやっていた頃が懐かしいぜ、と毒を吐いて過ごしていました。

実際に、トミーは1人気ままにしている時の方が運が良いと感じるのです。

自分1人の責任は自分で負える。

だがしかし、そうはならない事態となったのが2019年からでした。

今まで好きだったものが嫌いになったり、嫌いなものはやっぱり嫌いだったな、と、嫌いが増えていった年でもありました。

でも、嫌いっていうやつは好きなのです。

嫌いも好きも感情があって、心が揺り動くのです。

何が嫌い、か。

これを認識出来るのは、好きが何か分かるということ。

おかげさまで

という言葉がありますが、陰が教えてくれる事って、たくさんあるのですよね。

自分の闇に、たくさん触れました。

シンプルに、自分が他人からやられて嫌だった事を、気づいたら自分が他人にしていたり。

恩を仇で返す、みたいな事を、やっちまいました、色々。

しかも、良くして頂いた方々に。

どんなに詫びても、もう戻りません。

詫びるって何だろう?と思っています。

世が世なら腹を切りますが。

自らの命を絶って果たして詫びる事が出来るだろうか?とも思います。

思えば最初の詫びは、母親に対する「生まれてすみません」です。

スペックの低い私は、私が娘でごめんなさい、と常に両親に詫びていました。心の中でですが。

あ、でも、それ違うな、とやっと分かって(おかげさまで)、これからは還元します、私の力、と思いました。

やれる事があるのです、私。

そんな事を胸に、2021年をお迎えしようと思います。

何を教えに疫病がやってきたのか。

感じる事は人其々と思います。

やるべき事を、やってこなすぎたな、だから気持ちが停滞した、と思います。

重たいものも呪いももう流行りはしないので、軽やかにフェザー級で臨もうかと思います。

皆様、良いお年をお迎えください。

お餅を食べすぎないようにね。